sunaon

今日の朝日新聞のオピニオンのページには、
谷川俊太郎さんが出ている。
私の尊敬する詩人。
「詩はどこへ行ったのか」  

「詩は、ミニマルな、微小なエネルギーで、
個人に影響を与えていくものです」
「権力や財力のようにマスを相手にするものじゃない」

ライフハックや自己啓発の本や記事がこれだけ出回っているのはなぜかというと、それが実行されていないからです。なんとなくいいなーと思うが、結局実行しないで、忘れたころにまた似たようなものを発見してそれに飛びつく、という連続なのです。このループがライフハックや自己啓発の姿からはほど遠いのは大変残念な事態なのですが、そのループを断ち切った先に幸せはきっとある…なぜなら目の前にあるライフハックを漏れなく実行していけば、少なくとも本代も浮くし、ネットを巡回する時間も減るからです。

本書の最後の方に、どうやってライフハックを実行するのかという「ライフハックを実行するためのライフハック」を書かせていただきました。要約すると、

1. 「実行しなかったらどうなるか?」をリアルに想像
2. 「実行すると得られるもの」を想像

の2点です。この2つが実行できれば、あとは本当に楽になれるのです。

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raincloud.

アイデアって、無くなるとかじゃないんですよ。
創作意欲が無くなるっていうことが、アイデアが無くなるっていうことなんです。
だから「描こう」と思ってさえいれば、アイデアって出てくるから、
「アイデアが無くなるかも…」とか恐れてちゃいけないんですよ。
どんどん出す、貯金しとかない、みたいな。

一番ヤバイのは「どーでもいいかな」って思うことなんですよ。
粘りがなくなるというか。本当はもっとそこでガーッといかなきゃいけないのに、
「こんなもんでいいかぁ…」とか、思っちゃう感じがね、ヤバイんですよ。

荒木飛呂彦先生の描く未来 (via reretlet) (via ak47) (via theemitter) (via yaruo) (via kirisaki) (via syanaash) (via coshina) (via dsinka) (via kuroclef) (via salz) (via kondot)

昔、打撃系の先輩に喧嘩のやり方のレクチャーを受けた。

まずそういう状況になったら、全力で「殺される―」と絶叫する。

思いっきり、あらん限りの声で叫べば体は動くようになるし、

いざというとき、「殺されると思った」とかいえば

過剰防衛になってもなんとかなる(先輩が言ってた話ですよ)。

で、叫んで蹴ったら(勢いがつきすぎて)事故になる可能性があるから、

捕まえて頭突きしろ、頭突きなら大けがにならないとか。

頭が振れたら、腕が振りまわせるとか。

昔はなんかカッコよくないやり方だとか思っていたんだけど、

緊張や恐怖でガチガチになっている状態では

「絶叫する」というのは、実に理にかなっている。
先輩は固まって動けなくなる状況で

「動く」ための方法を教えてくれていたんだな、と思う。

人間関係も、緊張して固まって、動けないときに

どう動きだしをするか考えておくのは大切だと思う。

傷つきそうで、傷つけられそうで、自縄自縛になっているとき、

自分の中でどういう踏ん切りのつけ方をするか。

自傷や過食や、うつっぽかたり、いろんな形でうまく生きられない患者さん。

人は、そういう人が自己主張するとき

「悲劇のヒロインぶっちゃって」とか中傷する。

自傷なんて注目してもらいたいだけじゃん。

人が怖いって、家では普通に過ごせるんでしょ。

そういう痛い言葉が次々にふってきて、周りを見てしまうほどに

一歩が踏み出せなくなる。

でも、本当はそういう風にしか見れないやつらの頭が悪いだけだ。

そうなってきたプロセスも、そこから立ちあがろうとするプロセスも

どちらもそこに見ることがないのだから。

目に映るものの、その奥を見ようとしないで

勝手に自分の思い込みで中傷する。馬鹿か、と思う。

人に迷惑をかけて何が悪い。

注目してほしくて何が悪い。

そんなのみんな同じだろうに。

そうしないと生きていけない現実があって、

どこかの時点でそれを選択したのは自分だけど、

それもひっくるめてそのまま前に進むしかないんだから、

だから患者さんは、周りが見えすぎるとかえってよくない

要は、見た目にはわからないから、誰も見ていないから、といいかげんになりがちなところを、便所掃除を行なうことによって、一人ひとりが入念にチェックしていく。こんな習慣を身につけさせようとしたのだ。
 これを新入社員にやらせたところ、最初のうちは、次の日から来なくなる人間もいたし、なんとか理由をつけてサボる者もいた。すなわち、そういう問題児を頭から省くために、「便所掃除試験」を実施したのだ。つまり、いい人間を探そう、優秀な者を選ぼう、という発想とは逆で、我社の必要としないダメな人間をまずオミットしようという考えである。
 このためのテストが、大声試験であり、その極めつけが「便所掃除試験」である。これさえできれば、あと若干の問題点があったとしても、入社後の教育で直していけると私は考えていた。
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2008-05-04 (via gkojay) (via kondot)
会ったことのない人に勝手なイメージを持つのは、今日限りにしよう。すぐには出来ないだろうけど、それに気付く度に「あ、いけね」って思える人間になろう。そして、自信の無い子へは徹底して誉めよう。
日記書いててふと思い出した。いまの彼女と付き合う前、「不って不可能とか不満とか嫌な漢字ばかりにつくよねー」って言ったら「大丈夫。藤子・F・不二雄がいる」って返されて、その日生まれて初めて自分から告白して付き合い始めた。
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「検索エンジン離れ」の兆候は他にもあります。それを「楽したい症候群」と名付けます。努力や苦労を極力回避して「結果」だけを望む人々を指し、現代日本では世代を問わずに増殖しています。

昭和の頃、「調べる」ために辞書や辞典を引き、専門家の元へ足を運びました。今は「検索」で間に合わせます。鉛筆を片手に原稿用紙に向かい、間違えれば消しゴムをかけ書き直しましたが、今はパソコンやケータイでコピペです。技術の進歩を否定するものではありません。しかし、人の欲望に底はなく「楽」を肯定し助長した先に「楽したい症候群」はこういいだすのではないでしょうか。

「検索ってたりくね?」

共通語に訳せば「検索は面倒ではありませんか」。適切な検索結果を得るためには、周辺情報が不可欠で、「鈴木愛理」に辿り着くために「℃-ute」や「Buono!」、または「ピザーラ CM」と検索窓に入力します。これすら「面倒」と考える「楽したい症候群」の人間が多数派となったときに、従来の検索エンジン、そしてSEOは役割を終えます。

皆さんは、誰かを「変えたい」と願うかもしれませんが、皆さん自身は、誰かに「変えられたい」ですか?